学校に馴染めないながら大学院から塾講師へ/ASD・ADHD/みなみさん

みなみさん

診断名 ASD ADHD
職業  学習塾 講師(正社員)

大学院で診断を受け、生徒たちに囲まれる仕事を選ぶまで

神奈川県で塾講師として働く、みなみさんは27歳。ASDとADHDの診断を受けており、不安神経症や双極症の症状とも向き合いながら働いている。

現在は小中学生を対象に、英語・国語・社会を教える。教室では生徒たちとにぎやかに関わり、「みなみ先生、面白い」と言われることも増えてきたという。

しかし本人は、幼稚園から高校まで長くいじめを経験してきた。

人との距離感が分からない。会話がかみ合わない。空気が読めないと言われる。そんな感覚を抱えながら成長したものの、発達障害の診断を受けたのは大学院生になってからだった。

現在の姿だけを見ると、人と関わることが得意な講師に見える。しかしそこに至るまでには、周囲との違和感に悩み続けた学生時代や、就職活動で何度もつまずいた経験がある。

「お姉ちゃんの説明、分かりやすい」。妹の一言が進路を変えた

みなみさんは大学卒業後、そのまま大学院へ進学した。

もともと勉強は得意だったという。現在も担当教科は文系科目全般。小中学生の英語、国語、社会を教えている。

ただ、最初から塾講師を目指していたわけではない。

学生時代にはさまざまなアルバイトを経験した。飲食店のホール、タピオカ店など接客業も数多く経験している。

意外にも接客そのものは嫌いではなかった。

むしろ人と話すことは比較的できたという。

しかし、細かなカスタマイズ注文には苦戦した。

「甘め多めで」「氷少なめで」「トッピング追加で」

次々に飛んでくる注文を覚えきれず、作り間違いを繰り返した。

「廃棄をたくさん出して怒られました」

ASDの人は接客業が苦手というイメージを持たれがちだが、みなみさんの場合、問題は接客そのものではなく、複数の情報を同時に処理する場面だった。

そんな学生時代、進路を考えるきっかけになったのは妹の存在だった。

勉強を教えていたとき、妹から「お姉ちゃんの説明、分かりやすい」と言われた。

その言葉が頭に残った。

実際に塾講師のアルバイトも経験し、自分に合っている感覚があった。

「教える仕事をしようかなと思いました」

大学院修了後、塾業界を中心に就職活動を行うことになる。

面接で泣き出してしまった就職活動

就職活動は順調だったわけではない。

最初に受けた会社では何社も不採用になった。

理由は後になって本人にも分かった。

面接で必ず聞かれる質問がある。

「苦手なことはありますか」
「失敗した経験はありますか」

みなみさんは、その質問に正直に答えようとしていた。

しかし、その“正直さ”が裏目に出る。

自分にとって本当に辛かった出来事を、そのまま話してしまうのだ。

ある面接では、飼っていた動物が亡くなった時の話をした。

思い出すだけで悲しい出来事だった。

話しているうちに感情があふれ、面接中に泣いてしまったという。

「今思えばやらかしてました」

数社落ちたあと、みなみさんはあることに気づく。

どの会社も似たような質問をしている。

つまり面接には一定のパターンがある。

そこで質問への答え方を組み立て直した。

嘘をつくのではない。

本当のことを話しながらも、自分が傷つきすぎないエピソードを選び、落ち着いて説明できるよう準備した。

ASD特性として語られることの多い「規則性を見つける力」を、今度は面接対策に活用したのである。

すると結果は変わった。

就職活動を突破し、現在の塾への入社が決まった。

任意研修に30回以上参加した新人

内定後、みなみさんは会社が用意していた研修へ参加する。

普通の新人なら数回顔を出す程度だった。

ところが、みなみさんは違った。

学生のうちから始まる内定者研修に、30回以上参加したという。

一回あたり約3時間。

しかも参加は任意だった。

「全部出たるわ、と思って」

本人は笑うが、周囲から見ればかなり異例だった。

毎回のように顔を出すため、社員からも覚えられていたという。

「またあの子来てる、みたいな感じでした」

なぜそこまで参加したのか。

一つは頑張ろうという気持ちが強かったから。

もう一つは、「どこまでやれば十分なのか」が分からなかったからだ。

任意と言われても、その加減が分からない。

だから全部出る。

結果として30回以上になった。

しかし、それだけ準備したからといって最初からうまくいったわけではない。

初めて教壇に立った時は緊張で頭が真っ白になった。

研修で学んだ内容も吹き飛んだ。

「全部飛びました」

それでも授業を重ねるうちに少しずつ取り戻す。

できるようになり、また失敗し、再び改善する。

その繰り返しだった。

今では授業そのもので緊張することはほとんどない。

ただし、後ろから巡回担当者に評価される時だけは今でも緊張するという。

「みなみ先生、面白い」と言われるまで

現在のみなみさんは、小学生から中学生まで幅広い年代を担当している。

神奈川県は受験熱が高く、小学校低学年から塾へ通う家庭も少なくない。

教室では生徒たちと積極的に関わる。

これは本人の中で意外な部分でもある。

ASDの診断は受けているが、人と関わること自体は嫌いではない。

むしろADHDの特性の方が強く出ている感覚があり、自分から生徒たちの輪に入っていくこともできるという。

「子どもたちとワーキャーやってます」

ただし、子どもとの距離感には今も気を遣う。

フランクすぎてもいけない。

かといって固すぎてもいけない。

友達になりすぎてもいけない。

みなみさんが目指しているのは「子ども番組のお姉さん」だという。

親しみやすいけれど、先生としての立場は保つ。

そのバランスを意識している。

最近では生徒アンケートに「みなみ先生面白い」と書かれることも増えた。

一方で、勉強を教える難しさも感じている。

自分自身は比較的勉強ができた。

しかし、自分が感覚的に理解していたことを、相手に分かる形へ翻訳しなければならない。

「頭の中のことを形として表現するのが必要な仕事だと思います」

分かっていることと、教えられることは違う。

それを実感する毎日だという。

生徒よりも難しい保護者対応

授業以上に緊張する場面がある。

保護者との電話だ。

対面なら表情が見える。

しかし電話は声だけで判断しなければならない。

言葉遣いも気を遣う。

失礼があってはいけない。

そう考えるあまり、逆に問題も起きた。

先輩から言われたのは意外な指摘だった。

「固すぎる」

丁寧に話そうとしすぎて、人間味が消えていたという。

「まるでAI音声みたい」

そう言われたこともあった。

失礼のないように話そうとしていたのに、今度は機械的すぎると言われる。

生徒との会話とも違う。

友人との会話とも違う。

社会人としての適切な振る舞いを身につけるため、みなみさんは本を読んだり、ネットで調べたりしながら学び続けている。

「ちゃんとした社会人風を身につけるための勉強ですね」

本人はそう表現する。

スーパーの光が眩しかった日

発達障害の診断を受けたのは大学院生の時だった。

幼少期から違和感はあった。

いじめも長く経験した。

無視されたり、嫌がらせを受けたりした。

しかし診断につながることはなかった。

転機になったのは、ある日のスーパーだった。

体調があまり良くない状態で買い物へ行った。

すると店内の光が異様に眩しく感じた。

流れている販促音楽もうるさい。

気持ち悪くなった。

病院で相談すると、感覚過敏の可能性を指摘された。

そこから検査を受け、ASDとADHDの診断につながった。

診断後もすぐに気持ちが楽になったわけではない。

大学院では指導教員との関係に悩み、周囲の学生と自分を比べて落ち込むこともあった。

「自分はなんてできない人なんだろう」

そんな思いが強くなり、メンタルバランスを崩した。

大学へ通えなくなった時期もある。

薬の調整を行い、生活訓練施設にも通った。

お金の管理や生活リズムの立て直しにも取り組んだ。

大学時代はコロナ禍だったため、人間関係の負担が少なかった。

しかしコロナが明けると再び対面での関わりが増えた。

その時、昔から感じていた苦手さも戻ってきた。

「まただ、輪の中に入れない」

そんな感覚を覚えたという。

それでも就職し、教壇に立ち続けている。

現在は午後1時から夜10時まで働き、帰宅は11時を過ぎることも珍しくない。授業準備はカフェや教室で行う。受験生を預かる立場として体調管理にも気を配り、マスク着用を続けている。

そして何より、職場の人たちの存在が大きいという。

上司は、言葉にできない気持ちを汲み取ってくれる人だった。

同僚やアルバイト講師たちも温かい。

「こう言いたいんだよね」

うまく説明できない時でも、そう理解してくれる人たちがいる。

その環境があるから続けられているのだと話す。

生徒一人ひとりに決まったパターンはない。それでも人との関わりの中で気づいたことを少しずつ積み重ねていく。

今日も教室では、生徒たちが「みなみ先生」と呼びながら集まってくる。

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